英語を話したらコンプレックスを克服できた話

山根 京子(通称 KIKO/キコ)

はじめまして!この記事に興味をもって下さり、ありがとうございます!

この記事では私が長年コンプレックスを抱えていた時の実体験と克服までのプロセスについてゆるっと書いていこうと思っています。

もしも似たような経験や同じお悩みのある方と出会うきっかけになれたら嬉しいです!

目次

  1. バイリンガルへの憧れ
  2. 英語という初めての武器
  3. コンプレックスとの戦い
  4. 閃いた!!!
  5. バイリンガル演劇 舞台公演での奇跡
  6. 最後に

バイリンガルへの憧れ

これは私だけかも知れませんが、私は幼い頃、自分の家が貧乏だという自覚が人一倍強い子どもでした。保育園時代から自分の持ち物がおさがりなのが嫌だったり、貸家だということをひた隠しにしたり、、、
とにかく漠然と劣等感のようなものを常に持っていたり、他人と比べる傾向がありました。

小学5年生の時、【千葉から転入してきた】というだけでどこか垢抜けて見える女の子と仲良くなります。彼女はL’Arc〜en〜Cielの大ファンで、ファングッツを集めたり、ライブに行った時の話をしてくれて、今までの私にはなかった世界を見せてくれたのです。そこで11歳の私は「私も誰かのファンになろう!!」という発想で、当時電撃デビューをしていた宇多田ヒカルのファンになろうと決意しました。すぐに彼女の真似をして、CDを買い揃えたり出演予定のテレビを全部チェックしたり、ブロマイド写真を探しにいったりと見様見真似で宇多田ファンになりきったのです!

その宇多田ファンごっこの最中、度肝を抜く事実を目の当たりにします。

宇多田ヒカルは1983年1月19日生まれのシンガーソングライター。
アメリカ・ニューヨーク生まれ。
13歳の頃から都内のアメリカンスクールに通い、
17歳の時にアメリカンスクールから飛び級で
アメリカのコロンビア大学に合格する。


またもやここで “育ち” の違いに愕然としました。だけどその時、5歳しか違わない人がアメリカの大学に行くなら私もいけるのかも、と思ったことは今でも覚えています。
同い年の辻ちゃん加護ちゃんが活躍しているのを見て ”私はモーニング娘にはなれない。。。”と思ったのに、何故か宇多田ヒカルのアメリカ進学は”できるかも?”と思うこの違いはいまだに分かっておりません。w

とにかく、バイリンガルという言葉との出会いは宇多田ヒカルさんがきっかけで、バイリンガルへの憧れは貧乏とは真逆の”英才教育”を知ったことによる羨ましさと私もこうなりたい!という願望がマッチして私の中に宿ったのです。

英語という初めての武器

アメリカンスクールなんてものは地元、青森県八戸市にはあるわけもなく両親は心底安心したことでしょうが、英会話スクールがあったので中学進学を機に近くの英会話スクールに通うことにしました。

画像

両親は2人ともホテルで勤めていた経験があるので英語の必要性はある程度感じていたらしく、英語ができるようになったらいいんじゃない?という意識は一定高かったと思います。そんなこんなで中学1年生から始めた英会話ですが、

1年目▷クラスにいるだけ精一杯。首がもげるくらい頷き続けて、空気を読んで意味も分からず笑ったりするレベル。

2年目▷ある程度テーマがわかれば返答できるようになってくる。アメリカ人の先生が自国の話をする時がとっても嬉しそうだと気付き、毎週アメリカのことについて質問したりアメリカに興味がある生徒として認知してもらう。

3年目▷この頃になると英語のテストでは学年ではトップクラスをキープ。英語の先生の発音を指摘するくらい調子にのる。

こうして
【貧乏で頭が悪くて宇多田ヒカルのような才能もない】と思っていた自分から
【英会話スクールに通えて英語の成績は良くて英語の発音がうまい】という自分に進化したのです。

コンプレックスとの戦い

ここで使うコンプレックスとは「育ち」とかいうどうやっても変えられない/選べない状況に対する劣等感ではなく、「英語力」という努力や根性みたいな自分次第で変えられる状況で感じる劣等感のことです。
こっちの方が理想と現実がもろダイレクトで自分に刺さってくるので本当に辛いですよね。

私は21~26歳の間、英会話講師をしながら自分の英語力が伸びないことに悩み、指導者として確固たる自信を持つことができず挫折します。(もう英語に関係する仕事は諦めよう)というつもりで7年勤めた会社に退職届を出しました。

当時の私が抱えていた悩みはこちらです

■TOEIC 800点の壁が超えられない
■英検1級の単語や長文理解(Reading)が進まない
■留学経験がないからかっこ悪い
■英語で社内プレゼンとかが出来る実力がないと感じる etc..

今思えば出産したての2歳児と0歳児を抱えながらSkypeで英会話レッスンを受けたり、公園で遊ばせながら試験勉強したり、ありとあらゆる無料学習ツールを使って英語学習を続けていたことは偉かったな〜と思いますが、当時はそんなことに気付く余裕もなければ、周りの友人や同じ出身校の人の活躍をSNSで見るたびに胸が苦しくなっていました。 ネガティブ街道まっしぐらでしたねw

閃いた!!!

退職した後、今までとは業界とはガラッと変えて製薬会社でお世話になることにした26歳の私は可もなく不可もない生活にどことなく満足はしていました。
全てが「ちょうどいい」感じ。あ〜これが大人。母親ってことなんだな〜。って思っていた矢先。

本当に英語教えるの辞めちゃうの?という問いを投げてくれる人がいました。もっと正確にいうと自分の好きなことを辞めちゃうの?という問いだったと思います。私はその問いをえらく引きずり、振り払うことができませんでした。

眠りが浅くて気分転換に入ったお風呂の中。自分の人生について振り返ったみたのです。幼少期の劣等感、学生時代に打ち込んでいた日本舞踊、英会話スクールでの成功体験、専門学校時代の努力、7年間育てた生徒さんたちの顔を思い浮かべていると

そうか!!!英語とステージを絡めたら私にしかできない英語学習のメソッドができそう!!そして私と同じ苦しみや悩みがある人も救える!!
そして今までよりももっっっと多くの人にきっかけや影響を与えられる!!これだ!!!!となりました。本当に何かが降ってきたかようにビリビリーって痺れて鳥肌がたったんです!すぐに湯船から上がってノートに書き殴りました。

早速 “バイリンガル演劇 劇団 Blooming”と名付けて共感してくれる人たちを集めようとブログを開設しました。植物の成長と生命力をイメージし、才能を開花するための Bloomingと、自分の憧れでもあり影のような存在でもある”バイリンガル”をステージ経験によって手に入れるバイリンガル演劇は活動を開始し5年が立ちました。過去3回の自主公演(内1回はオンライン)
入場者数は合計で120名以上、クラファンや共催のご協力も多くいただき、3回とも30〜50万円ほどのご支援をいただいたお陰で無事開催することが叶いました。

画像

バイリンガル演劇 舞台公演での奇跡

バイリンガル演劇が目指していた未来は
【大きな夢を描ける子どもを増やし、唯一無二の自分を愛せる人でいっぱいの社会を創る】

コンセプトは
●やりたい!を叶え、その先の〇〇になりたい!と思えるきっかけを与える
●年齢や人種などの壁を超えて共通体験・共通感情・共通言語で心が通う経験をする
●緊張や偶有性がある体験を通じて自分が熱中できるものを見つける

代表の私自身ががむしゃらにこのバイリンガル演劇を進めてきたのですが、その中で起こった奇跡をいくつかご紹介しますね。

小学5年生 Hちゃん
劇の中のセリフに感情を入れて読んでと言われて、初めはどうすればいいのかわからなかったけど、お話の最初から最後までをちゃんと読んだらその役の心境が読み取れて感情を想像することができた。次の練習の時に「上手になったね」と言われたのが嬉しかった。

小学6年生 Uちゃん
自分は英語が下手だからアメリカ人の先生と話してもよく聞き返されると思ってたけど、劇の練習で大きい声で話してる時は一回も聞き返されなかった。ただ声が小さいだけで英語は上手だよって言われたのが今でも忘れられない。

中学1年生 Rくん
中学校に入ってもう出たくないって思ってたんだけど、でも出なきゃだめなんだと思ってた。でもキコが出たくないなら裏方のリーダーをしてくれない?と言ってくれて安心した。最後とっても助かったとか頼れる存在とか言ってもらえて嬉しかった。

小学2年生 Yくん(のお母さん)
極端にシャイでいざ人前に出ると話せなかったのに、お兄さんやお姉さんに混ざったらできるようになっていて成長を感じました。みんなより小さいだけですごいと拍手をもらっただけだと思いますが、本人はとっても自信につながったみたいです。

などなど、出演する側に起こった奇跡もありますし

観客側からの感想には
”英語劇は何を言っているか理解できないと思っていたけど、ステージの上の子たちが一生懸命伝えようとしている姿を見てこちら側も理解してあげようという思いが強くなった”

“劇だけじゃなくて歌やダンス、演奏で構成されているのが面白かった。荒削りなところもあるけど自分の初心を思い出すきっかけになった”

という声もいただきました。当時のアンケートシートは私の宝物です。

画像
画像
画像
画像
画像
画像

最後に

私自身がとっっっても大切にしていること
それは裏方さんへの感謝と敬意を忘れないこと。これは年齢に関わらず、舞台の出演する側のみんなには耳にたこができるくらい伝え続け、挨拶やお礼は絶対忘れないということをリアルな現場で経験してもらっています。
公演のあとは裏方さんと演者合同の大反省会はいつもめちゃくちゃ盛り上がっていました。

画像

深く根付いた劣等感を拭うために身につけた武器が【英語】でしたが、更にそこから【英会話】と【バイリンガル演劇】を通して自分の介在価値を見出すことができました。そしてそれだけではなく、
ありがとうやごめんなさいの一言や
とっさの場面で手や声をかけてあげられる勇気や思いやりはステージ発表で培った度胸と協調性のお陰であると言えます。

そんな他者との関わりが、自らを苦しめる過度な過小評価を払拭してくれ
より前向きで
より柔軟な価値観を植え付けてくれます。

その種をじっくりゆっくり育て、花や木にしていくのが劇団 Bloomingでありたいなと思っています。

長くなりましたが最後に一つだけ言わせてください

Living life in full bloom

Elizabeth  Murray’s Great Guide

たった一度きりの人生
みんな咲き誇っていきましょう!!

最後まで読んでくださってありがとうございました。もし良かったら下記のフォームにてご意見ご感想頂けると幸いです🙇‍♀️

バイリンガル演劇についてのお問い合わせ今回の記事についてご意見・ご感想をお聞かせくださいws.formzu.net


https://note.com/gekidan_blooming/n/n707601057b28

コメント

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP

Studio Cubell~スタジオくべる~八戸市のカルチャースクールをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む